2005年度ツアー第7戦・μカップイン横浜観戦記

麻将連合ツアー選手・川崎友広
■ルール
リーチに対する一発・裏ドラなし 
順位点はトップから順に+12・+4・▲4・▲12

■ システム
認定プロをはじめとするシード選手と予選を勝ち上がった選手、合計32名で争われる。
ポイント持ち越しの半荘6回戦。4回戦進出16名、準決勝5回戦進出8名、決勝6回戦進出4名。
(文中敬称略)
※ 文中において(P)は認定プロ、(T)はツアー選手、(LT)は女流ツアー選手を表す。
○準決勝 ポイントは4回戦までのもの
A卓 地主琢磨(T)110.2p 木村和幸(P)47.2p 斉田喜一(一般)39.7p 小林剛(P)33.8p
4連勝でトータルトップの地主はほぼ決勝確実。他の3人はまずトップを取ること。そして、地主のポイントを少しでも減らして決勝に臨みたいところである。
東1局、親の木村が10巡目
 ドラ
上家の斉田が切ったをチーテンに取る。が、下家の地主に下ったツモはだった……、メンゼンで進めていれば6000オールである(ツモでメンホンに移行しなければだが)。結果は流局。木村のテンパイ形を見た地主、何を思ったか。結果1000オール(一人テンパイ)になった木村、この後は地主とのアガリ競争を繰り広げる。
そして地主37200・木村38600で迎えた南3局、ラス親を残した斉田がリーチ
 ドラ
これに地主がの対子落としで8000点に飛び込んだ。木村にとっては願ってもない展開。のはずだった……。ここからオーラス親の斉田が猛連荘を始める。500オールを経て小林から7700点、1000オールと木村を捲くったのである。木村も最後ツモ直条件のテンパイを入れるも流局。地主・斉田が決勝へ。

B卓 忍田幸夫(P)77.2p 松尾政人(T)41.8p 山田昭裕(一般)34.5p 武則輝海(P)30.8p
忍田はトータルトップ地主との差を少しでも縮めたいところ。他3名も卓内2位で決勝に進める位置なだけに、熾烈な争いになりそうだ。
東4局、親の松尾にダブのポンが入っているなか、南家忍田の7巡目
 ツモ ドラ
は場に4枚とも見えている。自風のは河に1枚。忍田はテンパイにとらず切りを選択。そして、同巡山田からが……。忍田に再びテンパイが入らないまま松尾がトイトイに仕上げ山田から12000点。
南2局に武則が4000オールを引きアガりトップ目に立つも、松尾・忍田も盛り返し松尾トップ・忍田2着でこの2名が決勝へ駒を進めた。

○決勝 起家から 斉田(一般)64.2p 地主(T)102.9p 松尾(T)66.6p 忍田(P)85.8p
斉田はミューカップ優勝経験を持つゴールド会員である。その実力はみなさんご存知だと思う。
地主はミューカップ初決勝。交流戦での優勝経験はあるが、ミュー公式戦ではまだ優勝経験はない。公式戦悲願の初優勝まであと一歩まで詰め寄った。
松尾はイン長崎優勝、王座戦新人王優勝に続き今回の決勝。最近の成績には目を見張るものがある。
そして、昨年のイン横浜の覇者忍田。2年連続の決勝はさすがである。イン神田でも決勝に残っており決勝進出回数1位の記録を伸ばしている。
東一局は松尾が1000・2000。
そして東2局その3、2人テンパイ・1500点と連荘していた地主に長打が飛び出した。
忍田が5巡目にをポン。マンズのホンイツに向かう。この直後の地主、
 ツモ ドラ
ここからマンズのターツを払っていくのだが、すぐのツモが。裏目とも思えたがツモのあと斉田のをポンしてテンパイ。このポンでまず松尾が降参、忍田も観念しましたとの対子落とし。しかし流局間際、形式テンパイを取りにいった斉田からがこぼれた。
東2局その4でも地主が忍田から12000点をアガり、これで勝負あったかという空気が会場を流れた。東3局で忍田が地主から5200点をアガるも次の親番でテンパイを組めず流局。
南1局は地主が斉田から2600点。南2局に松尾が13巡目リーチ。
 ドラ
高めは山にまだ1枚残っていたが、マンズのホンイツで仕掛けていた北家斉田が2000・3900。
南3局、親の松尾の9巡目、

 ドラ
もし地主から24000点アガればというところだが、松尾のツモ筋にはマンズは1枚たりとも残っていなかった。
地主も丁寧にオリて流局。そしてオーラスへ。
優勝条件は、地主はアガれば優勝。松尾・斉田は地主から三倍満直撃(役満ツモでは届かない)親の忍田はひたすら連荘である。
オーラスを迎えた時、イン長崎のことを思い出した。長崎で松尾が初優勝を決めた時、オーラスの親は昨年の覇者原浩明(P)。そして今回オーラスの親は昨年の覇者忍田。シチェーションが同じである。長崎では原がその9まで連荘したが、忍田はどこまで粘るのだろうか。
その1は忍田のリーチ実らす流局。その2の忍田9巡目、
 ツモ ドラ
忍田は打が忍田の河に一枚切られているのもあるだろうが、234三色のフリテンリーチは考えなかったのだろうか。結果は松尾から1500点。
そしてその3、地主が6巡目に両面チー。ギャラリーは地主優勝を確信したのではなかろうか。忍田はピンフドラドラのイーシャンテン・斉田も一気通貫のテンパイを入れるが13巡目、地主はを静かに手前に置いた。
  ツモ ドラ
本戦の朝はあいにくの雨だったが地主が優勝を決めた時、彼を祝福するかのように雨は止んでいた。代わりに、彼の眼に歓喜の雨が降り注いでいた。その夜、地主の電話はお祝いの電話・メールで音が鳴り止むことがなかった。掲示板への多くのコメントも彼の人柄を表している。
「自分を応援してくれている人たちに今日初めて報いることができた」優勝後の彼のこんなコメントがとても印象的だった。
実は本戦当日に近内ツアーが日記でこんなことを書いていた。最近のミューカップは昭和52年生まれが優勝している、と。奇しくも今回優勝した地主ツアーも52年生まれだった。
改めて地主さん、おめでとうございます!! これからもご指導よろしくお願いします。